私も、家内も、お袋も、生粋の石見人(石州人)です。わが家は東海地方における石見(いわみ)の飛び地です。石見弁がとびかっています。遠くよそ地であぶり出された石見方言の宝庫かもしれません。

 
島根県の西半分が石見地方(いわみ、石州)、東半分が出雲地方(いずも、雲州)とよばれ、あらゆる面で対照的です。
 最近(2007,8)封切られた映画
≪天然コケッコー≫の中で話されているのが石見弁です。
 
(原作の舞台は浜田市三隅町岡見地区で、益田市との境ですが、劇中の言葉は浜田弁よりも益田弁により近いようです)
 (子供は岐阜生まれでバイリンガルです。しかも、我々はいまだ岐阜弁、名古屋弁をうまく話せません)

 
家族みなふるさと石見地方を離れ、すでに30年以上たっています。どこまでが≪純粋な石見弁≫なのかわかりません。その間、全国各地に住んでいました。広島弁、山口弁、関西弁、東京弁、岐阜弁、名古屋弁、その他、古語まで含め、様々な言葉がまざりあい、《本来の石見方言》から《我が家独特の方言》と変化し熟成された可能性もあります。
 
診療には標準語?を使っています。石見弁が混ざって、「それ何~?」と問われ、はたと気づくこともあります。ただ、石見弁はここらの言葉より柔らかい響きをもち、診療会話の潤滑油として重宝しています。

    
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石見弁は、西中国方言に属し発音は標準語とかわりません。語彙は広島弁(安芸弁)山口弁(長州弁)によく似ています。石見弁の言い回しは広島弁をやわらかくした感じでしょうか。
 西中国方言の分布は歴史的にみて、大内氏(守護大名)、毛利氏(戦国大名)の支配地域にほぼ一致します。当時世界の1/3の銀産出量を誇った石見銀山(2007年世界遺産に登録された)を支配することが戦略上・経済上とくに重要であったのです。(当時世界は銀本位で動いていました。)

 
一方、出雲弁や隠岐弁、伯耆弁(鳥取県西部)は重いズーズーなまりです。雲伯方言とよばれ東北方言に類します。その分布は尼子氏(戦国大名)の版図とほぼ重なります。(中学生時代、県の弁論大会で、出雲地方の生徒たちが話している言葉が全然理解できなかったことを思い出します)

  
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前置きはさておき紹介しましょう。こんなに多くの語彙を日常使っているわけではありません。子供時代の記憶からひろった語句もかなりあります。

 ≪石見方言集≫
といっても、わが家族の故郷である石見益田地域(益田弁)や広島山口県境に近い石西山間地域(美都弁、匹見弁)で使われる言葉です。明治時代の美濃郡(合併後の現益田市)の一部にあたる≪特定地域内での石見方言集≫にすぎません。同じ益田弁でも海岸部や萩市に近い飯浦や中西あたりとは微妙に違っていますし、津和野弁、浜田弁、江津弁などともまたかなり違っています。
 記憶違いや意味の取り違えもあるかもしれません。標準語への置き替えが難しい独特の意味合いや言い回しをもつ語句もまた多いですねー!


 
しかしまた、多くの言葉がすでに失われているのでしょう! 子供のころ聞いたお年寄り達が使っていたあの石見言葉・石見訛りは確実に失われています。そのイメージがおぼろに記憶に残っているのですが、もはや再現できません。

 方言ではありませんが
石見益田地方独特の(今では既にすたれてしまったかもしれません?)風習、生活用語、民具、伝統行事なども、錆びつきかけた記憶の保存庫から引き出して、いくつか織り込みました。

        (関連サイト): 石見賛歌広島弁 山口弁 益田の民話ますださんらいずネット天然コケッコー  

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  石見方言(益田方言)一覧表へ

 
 この石見方言集(益田方言集)をまとめ始めた頃から、我が家の方言は一段とひどくなってきました。お互いの言葉を意識しあうようになり、石見弁の使用頻度が急に増したのです。普段使っていなかった語句や忘れていた語句も飛びかうようになりました。石見弁独特の言い回しや表現法は忘れかけていますが、、単語や成句は忘れないのですね。 思い出したその都度このリストに追加しています。
 我が家の石見弁は、我々夫婦の代でおそらく終わりでしょう。
 たまに帰省すると
石見訛りがやけに懐かしく感じられます。
 
『ふる里は遠くにありて想うもの、そして哀しくうたうもの』と申します。そのような気持ちも込めて古里の方言をまとめてみました。  2006,7記

    故郷は遠くにありて想うもの、そして悲しく唄うもの                      
    よしや
    うらぶれて異土のかたい(乞食)となるとても         
    帰るところにあるまじや
    ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ泪ぐむ                                  
    そのこころもて遠きみやこにかえらばや
    遠きみやこにかえらばや
                                                                                                室生犀星・・「小景異情」(大正2年) 

               
    「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみのなかに そをききにゆく」
    「かにかくに渋民村はなつかしき 思い出の山 思い出の川」                 
                                                                                                
石川啄木「一握の砂」明治41年以降


  
    
  

現在の故郷:大きく変ってしまいました。昔を偲ばせるものはほとんど見あたりません。建物や道路はもちろんのこと、田んぼも川も大きく変わり、さらに周囲の山々までもかなり変わりました。ただ、雑木の深い緑と空の青さだけは昔通りです。



A)皆んなー皆んなー、カ~~マ~~、ぶっちぃー変わってしもーたのーやー!
 誰っがー誰っやら、ハ~~モ~~、わかっりゃーせんわーやー!
 そーゆーちゃーなんじゃが(さて、ところで)、あんったー、誰っかいのー?? 
 オ~オ~~、ヤッちゃんかいっやー! マ~~、懐っかしいのーやー!
 むっしょーに嬉っしゅーてのー、ゆんべー(昨夜)、眠れんかったんじゃーや!
 ようにように、帰りんさったのー、マ~マ~、ゆーにして行きんさいっやー
B)おーっきにー、おーっきにー、
ハ~マ~~かしいねーやー!
 はあってえ、あんたーこっそー、誰じゃったかいねーやー??



C)久っしゅー(ながっしゅー) 逢わんかったねー、まめ(豆)っじゃったん?
 酒ー、ちぃーともすすまんねー! なんぼっかしー(ほとんど)食っとらんじゃーん!
 なーんしよん?(どうしたん?) どっか悪いんちゃーうん(違うん)??
B)いんやー、先週、学生っらーと一緒っでねー、あれっらー、若いっからねー、
 マ~~、よ~食うーわ、よ~飲むわー、カ~カ~~、つられってしもーてねー
 生カキとサバの刺身と、好きっじゃっけー、カ~~、じょーに食い過ぎったんよーー
 その晩から、えずいってねー、あげっそーでねー、なんっかーいけんのじゃーね
 どーもそんに当ってしもーたらしーんよ、暴飲暴食したバチ(罰)っじゃろってー
 まめ(豆)っなだけがー、マ~~、取り柄じゃったんじゃがっねー
 ハ~、年っかいっねー、モ~、いけんっねー、昔みっちょーに無理が効かんけーねー
 娘っからー、ぶっちぃーきっつー、ドクター・ストップかかっとるんよーー


D)マ~マ~~、こっちー、手ー、見してーみんちゃいっやー
 柔わらっかーきれーな手ー、しちょりんさるねー!
 力仕事なんっかー、ちぃーとも、ハ~~~、しちょらんのじゃっろーー!
E)気持っちーええーわー、肌も白うーて、スベッスベっじゃーねー!
B)やらっしーねー、そんにーいじくりんちゃんなーや、くっちゅぐったいわーね、
 じゃっけんどー、やっぱー、モ~~ハ~~、年っじゃいっね~!
 顔っ中、シミ(斑)ー、出って来ってねー、ほんにーやれんっわーー!


F)そーじゃいっねー、ちょっぴし、オツムが薄うーなりんちゃったかいっねー!
 貫禄あってーええーけっどー、頭っばっかー、使い過っぎゃーいけんっけーーねー
B)いんやー、頭っなんっかー、ちーっとも使っとりゃーせんよーねー、
 さぞっやー大分じゃっろーってー、ぶっちぃー薄ーも白ーも、なってしもーたーね
 毛生えグスリー(薬)、朝めしのたんびー、呑んどるんよーー、
 ちょぴし増えて来たっし~、~マ~~、だいぶん黒ーなったんじゃがっね~
G)そっりゃーええーわーー、うちにも教えってーや、どっこに売っとるーん?
B)きれーな髪しちょるじゃん、ツヤツヤじゃっしー、メチャーメチャー魅惑的じゃん!
G)美容院で染めてきたんよーー、あんた(皆んなの間違い??)に逢うんじゃっしーー
 マ~~、いけんのーーん?? なしってーー?? ...
 そーーなん!! おとこっしー(男衆、男子衆)しっかー効っかんのーーん?



 『小中学校時代9年間をともに過ごした60名の同窓会』が、先般、45年ぶりに益田市でありました。私たちの故郷は美都です。中国山地に孤立した小さな寒村でした。(家内も益田旧市街で育っています)、幼児期から思春期までの9年間ずっと一緒でした。すでに鬼籍に入った者も5名が判明しており、一家あげての離村などで行方不明の者もかなりいます。全国各地へバラバラに散らばっていますが、26名もの多くが集まりました。しばらく話し込んでいるうちに、すっかり≪田舎弁≫に戻りました。懐かしい≪益田弁/美都弁≫をこんなに多く話せたのは、ずいぶん久しぶりです。
 我々家族間ではもはやこんな会話は交わせません。30年以上故郷を離れていますので、語彙や語句は出てきても、話し方そのものは標準語化しています。

 『益田の民話』を紹介したブログにも、昔の語り言葉・益田弁が偲ばれてうれしくなりますね。




住吉神社(七尾城趾)からの眺望
 左山麓には
益田高校の一部がのぞき、赤茶色の石見瓦がなつかしい益田旧市街から駅前新市街方面を望み、さらに遠くには日本海も見えています(2004,11) 最近、帰省しましたが、昔の面影を残す部分は少なく街の様相も一変していました。 





上:日本海の潮香
  冬の持石海岸
中:夏の高津川
  鮎釣りの人影も
下:石見神楽、鍾馗





以上4枚の写真借用元は

ますださんらいずネット


 私のお気に入りサイトです。
 益田地域はもとより、美都地域、匹見地域など周辺地域まで、懐かしい山川、遠足の定番日本海、浜辺の白砂青松、競馬場を横切って歩いていった蟠竜湖、赤い石見瓦、見慣れた町並み、最近の変わりよう、思い出の風景がたくさん載っています。
 推薦します。皆さんもどうぞのぞいてみてください。


                       斎藤リウマチ科・内科・整形外科
                       
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