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北方町は、名刹・円鏡寺(1296年建立)の門前町として形成されました。明治22年の町村制の実施にともない北方町としてスタートしました。平成20年には120周年を迎えます。
東西 1.85km、南北4.2km、面積5.17km2、ウオーキングがてら一周できる程度の、平地のとても小さな町です。住民人口は18,000人余(2006年4月)、岐阜県下全市町村の中で、面積はもっとも狭く、人口密度3480人/km2は最も高くなっています。先頃の町村合併の結果、本巣郡として残っている唯一の町です。
写真借用、運慶をめぐる冒険−円鏡寺、楼門より
北方町は、旧本巣郡(6町1村人口約10万人、もっと古くは長良川〜伊自良川以西の岐阜市一部まで含めた旧々本巣郡約12万人)の≪郡都≫として栄えました。また隣接する揖斐郡(人口約7万人)から岐阜市にまたがる西美濃北西地域一帯の中心市街地としても長く繁栄してきました。
しかし、昨今の急激な社会的・経済的な地盤沈下はいちじるしく、もはや昔日の栄華の名残すらほとんど残していません。近郷近在から人々や物資が集まり、繁栄を誇っていた北方商店街・歓楽街はほぼ完全に消失しました。かって人の波で埋まった旧商店街も、今は歩く人もまばらです。ここ10年間の変化は特にいちじるしく、店の多くが消えて駐車場にかわり、閑静な住宅街へと変貌してきました。80余年の長きにわたって西美濃北西地域交通の要をになっていた名鉄揖斐線も昨年ついに全線廃線となりました。
別会社による路面電車の復活の噂もありましたが、立ち消えになりました。(世界的な流れとして、都市インフラとして、路面電車は再評価されています。)重要な都市交通インフラを放棄したことになります。
当院隣接マンションから東への眺め、旧名鉄揖斐線の線路が岐阜市内へ向かって走り、遠く岐阜城を頂く金華山がみえます。 2007,6,23
在りし日の美濃北方駅、 名鉄揖斐線廃線物語より借用
北方町は、濃尾平野の北西に位置します。地理的に日本のほぼ中央にあたります。南は名古屋市へ向かって平野が続きます。東に岐阜城を頂く金華山、北に霊峰白山に連なる山脈、西に伊吹山系を遠く望みます。
東は岐阜市に、南は瑞穂市に隣接しています。名古屋市へも比較的近く、通勤・通学する人も多く見られます。 また北、西は本巣市と隣接しており、北方町の郊外?として広がっています。
(冬、天気がよければ、岐阜羽島あたりから、それら名峰の数々を一望できます。)
忠節橋より長良川、金華橋、岐阜城・金華山を望む 写真借用、わがふるさと岐阜・長良川より
空は青く、空気は澄んで、水は豊富でとてもおいしいです。北方町は典型的な消費都市です。明治製菓の薬品工場が唯一目立つ程度です。町内にさしたる企業・工場はありません。
上下水道・都市ガス・高速通信・道路整備・区画整理などのインフラ整備はほぼ完了しており、≪住みたい町、住みやすい町≫と言われています。
北方町郊外(隣接旧本巣郡)には、工場が点在しています。また裕福な近郊農家も多くみられます。
水田や野菜畑、富有柿や梨の果樹園、バラ園などが広がります。花き栽培、ハウス栽培などの換金作物栽培がさかんです。
ここ美濃地方は、経済的にも文化的にも豊かです。おかげで、歴史的に人の出入りは少なく、古いしきたりや行事が色濃く残っています。
冠雪の伊吹山を遠く西に望む、長良川、忠節橋そして今はなき市内線電車です、(超望遠レンズ) 名鉄揖斐線廃線物語より借用
夏期には、長良川、揖斐川、根尾川でのキャンプや川遊びを楽しむ人々が多くみられます。冬期には、一時間も車を走らせれば、いくつもの手軽なスキー場がすぐそこです。ソリ遊びの幼児や子守のオバアチャンを連れた若い家族連れも多く見られます。近くにはゴルフコースも多く、四季を通じて気軽に楽しめます。
ただ、内陸特有の気候です。夏は猛烈に暑く、しばしば美濃地方が日本一を記録します。冬は乾燥した晴天がつづき、積雪量は知れています。寒さも氷点下を記録することはまれで、厳しくありません。四季は変化に富み、鮮やかに移り変わります。春、秋の快適な時期は短く、不意の客のようにサーッと訪れ、そそくさと去っていきます。
(今夏、2007,8、は残暑が特別きびしく、多治見市では観測史上最高気温40,9度を記録しました。)
根尾川鉄橋を渡る今はなき懐かしい揖斐線電車です 名鉄揖斐線廃線物語より借用
全国的な流れではありますが、北方町や岐阜市の中心旧市街地の衰退(ドーナツ化現象)は顕著です。それと裏腹に、郊外には数カ所の巨大総合ショッピングモールや数多の大型スーパー、量販店、外食産業、レジャー産業、自動車ディラー、さらに中小パラサイトショップなどが競って進出しています。
東海全域や滋賀県、福井県まで広範囲に集客をねらう、日本有数の巨大商業モールどうしの激戦地域として、最近マスコミにしばしば取り上げられています。
近くに東海環状高速道路インターチェンジも建設予定です。生産・物流・商業など中京・東海文化経済圏の一大拠点として、急激にさらに大きく変貌していくことでしょう。
北方加茂(当院に隣接するマンション)から北西方面をのぞむ。日本有数の巨大商業モール・モレラ岐阜もみえています。2007,6,23
歴史的風土に根ざした北方町住民の自我意識はきわめて頑固です。
旧本巣郡は利害が対立してまとまらず、瑞穂市、本巣市、北方町に3分裂しました。
岐阜市など3市にとり囲まれ、裸の王様・北方町のみが孤立して、本巣郡のまま唯一とり残されました。
それに先だって、政令指定都市をめざした岐阜市・各務原市・羽島市・山県郡・本巣郡・羽島郡.などとの広域合併問題は、まず最初に破綻しました。
次に、岐阜市と周辺市町村との縮小合併案が取り沙汰されました。岐阜市の産業廃棄物違法投棄処理問題や揖斐線廃止問題などが複雑に絡んで、北方住民意識は二転三転して揺れ動きました。合併調印締結間際に頓挫してしまったのです。
合併騒動の傷跡は深刻です。町を二分三分して争った町民どうしの対立は根が深く、重い頸木・足かせとなって、将来へと禍根をひきずっていくのでしょうか...?
(私見ですが、道州制も導入されようかという今日、医療・文化・教育・交通・治安・ライフライン・ゴミ処理など様々なサービスを提供するうえからも、目先の利権やしがらみを捨てて、市町村の小さな枠を取り払って、合理的・能率的に、行政単位を整理し拡大させていくべきでしょう。)
いったい≪本巣郡北方町≫は、将来どこに向かっていくのでしょうか?
(2006,2,15記)
南西には、北方旧市街を手前に、向こうに巨大な県営北方団地の一部がみえています。西方遠くに池田山、伊吹山系が望まれます。 2007,6,23
南東への眺め、北方旧市街が望まれます。岐阜市から名古屋市へと開けています。 2007,6,23
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●北方町公式ホームページ
●北方町:写真入り紹介☆
●岐阜:美濃・飛騨の話
● 名鉄揖斐線廃線物語
● 名鉄揖斐線廃線、叙情的写真集その1☆☆
●平成の風土記:岐阜県北方町
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●旧本巣郡(瑞穂市、本巣市、北方町)のバス路線図
●岐阜県北方町地域情報
長良川・忠節橋を渡る市内線電車、岐阜城を望む夜景、(望遠レンズ撮影) 名鉄揖斐線廃線物語より借用
北方町:航空写真地図
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