斎藤リウマチ科内科整形外科



医師・スタッフ紹介


≪医師≫院長
  齋藤泰則

=略歴=


  団塊の世代です。貧困と飢えと混沌の中で生まれ、米ソ冷戦・安保闘争・大学闘争などをくぐり抜けた抑圧と反抗と挫折、希望と競争と建設の世代でもあります。* 
  島根県の西端に位置し、文豪森鴎外の故郷・山陰の小京都・津和野にちかい、中国山地に孤立した(合併後、現在の益田市美都)寒村の農家に生まれ育ちました。***** 

 
(県立)益田高校を卒業しました。
 
(国立)東京医科歯科大学医学部を卒業しました。****

 アメリカ式の、ほぼ毎日病院泊まり込み、24時間体制の厳しい、主要診療科ローテート臨床訓練(内科・小児科・産婦人科・外科・麻酔科・救急 救命外来・集中治療室etc)をうけました。
 (朝日大学)村上記念病院などにて、おもに整形外科医・リウマチ科医として勤務しました。

 昭和62年、現在地にて
『斎藤整形外科』を開業しました。
 平成16年、診療の実情にあわせて、
『斎藤リウマチ科内科整形外科』と改称しました。
 平成26年、介護老人保健施設『仙寿苑』を開設しました。


=資格=


リウマチ認定医(専門医)
整形外科認定医(専門医)
●厚生省より麻酔科標榜医免許(標榜医

           

   
                             
診察室にて、2011,8

         
************* 説明/備考 *************************************

*  映画『ALWAYS三丁目の夕日』を懐かしむ世代です。同年代の孤児淳之介君に自分を投影して観ました。映画は昭和33年頃の東京下町が舞台です。それより地方ははるかに遅れ、もっと汚く、もっともっと貧乏でした。村に初めてのテレビが入ったのは、中学生時代だったでしょうか。部落で一台しかないテレビを部落中が見せてもらいに行きました。

**
 島根県は東半分を出雲(いずも、雲州)、西半分を≪石見(いわみ、石州)≫と呼びます。石見地方は、出雲地方とは歴史・文化・言語・風土を大きく異にします。耕地は狭くやせて、出稼ぎ中心の常に貧しい地方でした。
 故郷は、かって
≪日本一の過疎地≫とよばれました。超過疎化の波(人口は1/3に、3000人→1000人、激減し老齢化は著しい)にのみこまれました。小学校分校はすぐに、中学校は卒業後まもなく廃校になりました。旧村民の多くが、都会へ職を求め、一家あげて離村しました。同級生約60名(回想)(45年ぶりの同窓会)は全国各地へ散り散りになり、行方不明の者も多くいます。集団就職などで中卒で半数が、残りの半数は高卒で、故郷を離れて就職した時代でした。
 
歴史的・地理的には、石見銀山の支配権もからみ、大内氏毛利氏の最重要な版図であり、≪広島山口文化圏≫に属します。石見弁西中国方言に含まれ、発音は標準語と変わりません。語彙は広島弁(安芸弁)山口弁(長州弁)によく似ています。他方、 出雲弁は雲伯方言に属し、ズーズーなまりが強く、東北方言に類します。

***
  ダム湖に沈んだ≪岐阜県徳山村写真集≫に出てくる情景によく似ていました。ただ思い出に焼き付いているだけですが、故郷の山深き寒村の子供時代の原風景を忘れられません。
 (写真集の作者増山たづ子さん(故人)も、旧徳山村の多くの方々も、懐かしく思い出されます。みなさん我が医院の患者さんたちでした。当時は、徳山村−根尾村−本巣町−糸貫町−北方町−岐阜市、を結ぶバス路線が唯一の公共交通機関でした。狭い山間道路が峠や谷をうねってつづき、きびしい徳山の冬はしばしば通行止めになり、根雪に閉じこめられたそうです)

  
  
≪わら葺き屋根の母屋と納屋≫≪家畜小屋、川原の牧牛≫上:1960年前後、裏山に雑木が生い茂り、母屋はワラ葺きのままです。麦が畑に茂っていて、ニワトリ小屋もみえます。川原には牛が放たれ、堤防は大洪水以前のままで、子供時代のそれです。
実家からの眺め≫
下:1985年頃、大洪水後の河川大改修後です。しゅんせつされ川幅も広げられ、堰も作られコンクリートで護岸工事がなされ、立派な橋も渡り、流れもゆるやかになっています。
 四方を山が囲み息がつまるほど狭く、わずかな平地はやせ、利用価値のない急峻な山肌が迫り、眼前を川が流れていました。
 (夏休みに東京から遊びに来た同級生が、カジカ、カエル、虫の鳴き声や川瀬の水音がうるさくて眠れなかったそうです)
 昔は川幅も狭く
、自然石を積み上げた堤防で、
粗末な吊り橋が懸かっていました。積み石の隙間にはウナギやモズクカニが生息し穴釣りでよく釣れましたし、地上部にはアシナガバチが巣を作っていました。
 牛や山羊が川原に放たれ、アブやハエが大発生し、
家畜の臭いがあたりに漂い体に染みつきます。毎日毎日、農作業や家事の手伝いをさせられました。田植え時、稲刈り時の農繁期には学校を休む子供も多く、中間試験の前夜でさえ深夜0時過ぎまで仕事が終わるまで私も稲掛けを手伝わされました。ただ当時はたいした農機具があるわけでもなくすべて人手に頼っていました。子供も貴重な労働力でしたし、それが普通の農家の生活でした。
 子供達は年齢にかかわらずつるんで遊びました。みんな外で、春から秋は釣りや川遊び、冬は相撲やソリ遊びでした。


**** 医学部、歯学部は混ぜて国府台牧場(教養部)に放たれます。おかげで専門学部に上がっても交流しあい、卒業後もお互い仲良くしています。5年毎に医学部歯学部合同同窓会が行われるのですが、再会を楽しみに日々の診療に励んでいます。
 現在では、医学科、歯学科の学生だけでなく、看護学科、臨床検査学科、歯科衛生学科などの学生も混ぜこじゃに放牧されるようです。最初の一年間はすべての学科が共に教育され?、次の一年間は医学科と歯学科だけが一緒に教育されているようです。
 5学科間での大きな学力差をどのように補って教育しているのか興味あるところです。理想は理想として置いといて、実際のところ、自由選択科目はそれでいいとしても、主要必須科目では、はたして混ぜこじゃ教育が可能なのでしょうか?

          
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≪非常勤医師≫
  
三上大介、三上珠恵、


≪薬剤師≫
  齋藤敦子


同じく島根県の西部・石見益田の出身です。
(県立)益田高校を卒業しました。
(国立)広島大学医学部薬学科を卒業しました。臨床薬剤師として研修・勤務しました。


≪看護師≫
≪レントゲン技師≫
≪事務スタッフ≫
≪リハビリスタッフ≫


当院の職員は、現在10数名です。
昔の半数ほどですが、永年勤務者が多く、特別な事情以外ほとんど出入りがありません。
職員はみな平等です。職種の垣根を越えて、仲良く、お互いに助け合っています。
患者さんにはつねに笑顔と大きな声で、ゆっくりと、丁寧に」をモットーにしております。


リンクします。クリックしてください。本文中の下線のある部分もリンクします
  
東京医科歯科大学を動画で紹介。  
東京医科歯科大学
国府台牧場(教養部) 
広島大学医学部
朝日大学村上記念病院




****** わが母校・東京医科歯科大学 **********


 
東京医科歯科大学病院(湯島地区)全景です。現在はエントランスがもっと充実してきました。


 東京医科歯科大学は、英国の世界大学評価機関のクアクアレリ・シモンズ(QS)により2015年4月29日に発表された分野別QS世界大学ランキングの歯学分野で日本第1位、世界第6位の高評価を獲得しました。
 
医学分野でも日本第4位、世界第101-150位の高評価を昨年度に引き続き維持しています。

                               
 (東京医科歯科大学広報より)



  
  
御茶ノ水駅前交差点からの眺め
です。神田川をまたぐ御茶ノ水橋から外堀通りに通じており、
   真正面に、東京医科歯科大学の大学院/新研究棟、医学部附属病院、歯学部附属病院(一部)、をのぞみます。

  

   神田川に沿うJR御茶ノ水駅を下にまたぐ聖橋からの眺め≫です。
     前方右手前に歯学部附属病院、左向こうに医学部附属病院、大学院研究教育棟などが見えています。 


 日本一立地条件に恵まれた大学病院と言われています。地下鉄丸ノ内線・御茶ノ水駅は大学の地下にあります。JRお茶の水駅前から正面に医学部附属病院、歯学部付属病院、そして地上26階建の大学院新研究棟がひときわ高くそびえ、お茶の水の新しいランドマークとなっています。


                
わが母校・東京医科歯科大学  
              湯島・御茶ノ水・神田地域の地図はこちら(スクロール拡大率調整可能です)                            
               
   




***** 医学部・歯学部合同同窓会 2010.8.1 ********


    入り交じって歓談中の医学部、歯学部同級生たち

我々同期は、医学部も歯学部も、なかなか優秀です
 医学部は約2割が教授(主任教授)になって全国に散らばり、本学には3人の現教授、1人の准教授が残っています。当日は8名が出席していました。
 歯学部は本学だけで4人の現教授がおり、学部長、病院長、教育部長などの中枢を占めています。
(医学部は1名、歯学部は2名が、その後本学教授に昇進し、副学長2名を含め、合計10名の同級生教授が母校に在任中とのことです。2012年10月現在)
(現在、
田中雄二郎学長田上順次副学長の2名が在任していますが、他の多くはすでに定年退官しました)

「大いなる発展を遂げた現在の東京医科歯科大学を中心となって造り上げたのは間違いなく君達の学年だ」
 
同窓会長佐藤達夫先生が来賓挨拶の中でえらく持ち上げておられました。お世辞は当然あるにせよ、あながちそれも間違いではないのでしょう。母校に残った教授たちは皆々自信に満ち輝いていました。

我々の学年は、医学部も、歯学部とも、お互い仲がとても良かった
 しかし、学生時代6年間は
野放し状態で、自主性を尊重され(?)出席はとられず、それをいいことに講義への出席率はきわめて劣悪でした。それでも国試合格率は常に全国最上位でしたし、定期試験を何とかクリアできれば文句なしでした。しかし、他大学から講義に来られた先生が、そのあまりの出席のひどさに憤慨され、ついに学長宛に公開詰問状を寄せられるという前代未聞の事件もありました。結局、それもすぐに元の木阿弥でしたが、
 それやこれやで
最低最悪の学年と学生時代言われ続けました。そのような劣等生集団の我々が、今や最高の学年と言われ、東大出身連中に勝るとも劣らないほど多数の教授を輩出したのですから!驚きです。
 学生時代の評価なんてまったく判らないものです。
(この学年に限れば、全国すべての大学医学部でおそらく一番多く、圧倒的な教授数でしょう。)

「講義をさぼってばかりいたお前が、何んで教授様なの?」そんな言葉が会場で飛び交っていました。



                 医学部・歯学部合同クラス会 2010.8/1.in 東京

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****** 青春の思い出・御茶ノ水学生街 2009.4(一部 2008.10) *******


     
      

日本のカルチェラタン≫ 
 土曜日の夕刻でもあり、学生さんは少ないようです。昔懐かしい学生街(明大通り、丸善周辺、御茶ノ水駅前のみですが)をしばし歩いてみました。ずいぶん久しぶりです。街並は我々の時代とあまりかわりません。多くの店は変わりましたが、昔からの店もかなり残っています。JR御茶ノ水駅学生街の雰囲気も昔も今もとほとんど同じでした。     2008.10

                 青春の思い出・御茶ノ水学生街 2009.4(一部 2008.10)
                 御茶ノ水地域の地図はこちらへ(スクロール拡大率調整可能です)


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****** 青春の想い出・神田神保町本の街 **********


 現在の神田神保町 神田神保町 Wikipediaより転載しました。)
 靖国通り沿いに古書店がずらりと並ぶ「世界一の本の街」 神田神保町、古書店街をぶらり散歩より転載しました)

 学生時代、休日の一日、神田古本店街で過ごすこともしばしばでした。丸善(御茶ノ水駅前)三省堂書泉グランデ(神田神保町)などの大型新刊書店もありましたが、さまざまな専門分野にわかれ、こじんまりとし、書籍が天井近くまで所狭しと積み上げられた古書店独特の猥雑な雰囲気がお気に入りでした。なんとなく気分が落ちつくのです。思わぬ掘り出し物、珍本に出会ったりするのも楽しみでした。ジャンルにかかわらず、次々と古本屋をハシゴし、腹が減るのも忘れて立ち読みするのがとても楽しかったのです。
 学生街の古レコード店をまわるのも楽しみでした。


             青春の想い出・神田神保町古書の街
             神田神保町古書の街の地図(スクロール、拡大調整可能です)



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